誰そ彼(薄紅天女)

日没のわずか前のたそがれどきのことを「誰(た)そ彼(かれ)」ということもあるわけですが(夕方は人が見分けにくいひとときでもあるから)。竹芝の人たちは藤太を見て、長男勝総を偲ぶこともあったのでしょうか。性格のほうもわりと似てそうですが(この人と決めた相手に全てを賭けて捧げるとことか)、藤太は藤太、勝総は勝総とちゃんと受け入れられていたと思うんですが。それでも、時として。夕暮れで影が濃くなる頃。その姿に声に亡き人を見ることがあっても不思議はないなと。

(一応藤太のつもりで描いていましたが、本編終了後数年経ったくらいに落ちついた感じに(汗)ましろや勝総の生きた年月を、阿高や藤太が越えてゆくのも当たり前のことなのに不思議な感じですね)


(2004.05.9 透明水彩)